石牟礼道子の死因!家族や経歴は?水俣のジャンヌ・ダルクの人生まとめ

   




作家の石牟礼道子さんがしよされたことがわかりました。

毎日新聞が報じています。

 

人間の極限的惨苦を描破した「苦海浄土(くがいじょうど)」で水俣病を告発し、

豊穣(ほうじょう)な前近代に取って代わった近代社会の矛盾を問い、

自然と共生する人間のあり方を小説や詩歌の主題にすえた

作家の石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さんが10日死去した

90歳葬儀の日程は未定。自宅(仕事場)は熊本市東区秋津1の1の8のユートピア熊本。

きになる情報をまとめていきたいと思います!

 

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石牟礼道子・プロフィール

 

出典:熊本県教育委員会

名前:石牟礼道子(いしむれ・みちこ)

生誕:1927年3月11日 熊本県天草市

職業:小説家、詩人

学歴:水俣実務学校

代表作:『苦海浄土 わが水俣病』(1969年)
『はにかみの国 – 石牟礼道子全詩集』(2002年)

受賞:マグサイサイ賞(1973年)
紫式部文学賞(1993年)
朝日賞(2002年)
芸術選奨(2003年)
現代詩花椿賞(2014年)

石牟礼道子さんは1927年、熊本県天草市に生まれ、生後まもなく水俣市に移り、水俣実務学校(現・水俣高)を卒業。

その後は代用教員を経て、58年ごろ詩歌中心に文学活動を始められました。

もともと作家を目指していたわけではなかったようですね。

しかし、彼女の人生を変える出来事が起こります。

1959年、当時まだ「奇病」と言われていた水俣病患者の姿を目撃。

当時水俣市に住んでいた石牟礼道子さんにとって、これは人ごとではなかったのでしょう。

この出来事をこうよに残すべく、記録しなければならないと決心し、

1969年、水俣病患者の姿を伝える「苦海浄土」刊行に踏み切ります。

この「苦海浄土」は日本の公害告発運動の端緒となるなど戦後を代表する名著として知られていて

74年に第3部「天の魚」を出し、2004年の第2部「神々の村」で「苦海浄土」(全3部)が完結しています。

 徹底的に患者に寄り添う姿勢と、素晴らしいリーダーシップを発揮し

「水俣のジャンヌ・ダルク」と呼ばれました。

水俣病に苦しんだ患者の、精神的支柱として活躍された人物だったんですね。

この「苦海浄土」は、アジアのノーベル賞と称される、マグサイサイ賞を受賞したことでも知られています。

作家として、戦後の公害訴訟に大きな影響を及ぼした石牟礼道子さん。

死因はなんだったのでしょうか?

石牟礼道子さんの死因は?

 

石牟礼道子さん2002年ごろから、パーキンソン病を患っていたという情報がありましたが

執筆活動はずっと続けていらっしゃったということで

特にこのパーキンソン病で亡くなった、というわけではないようです。

90歳、年齢も年齢ですから、病気で亡くなったわけではなく

老衰でお亡くなりになったということかと思われます。

最後まで情熱を持って活動を続け、安らかに天に召されたのでしたら

ご本にも幸せな最期だったのではないでしょうか?

不謹慎かもしれませんが、

いい死に方だったのでは?

 

さて。石牟礼道子さん

90歳ということで大往生でしたが、

ご家族はいらっしゃったんでしょうか?

 

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石牟礼道子さんの家族は?

 

石牟礼道子さんのご家族に関しては限りなく情報が少なかったのですが、

石牟礼弘さんというご主人がいらっしゃいました。

2015年8月20に、こちらも老衰によって亡くなっていました。

大正14年生まれで昭和21年にご結婚。

妻である石牟礼道子さんとともに、水俣病患者の支援活動に尽力されたようです。

ご長男がいらっしゃり、道生(みちお)さんというお名前でした。

ご夫婦ともに長生きで、人生の目標をともにされたなんて、

本当に素敵ですね。

ご主人も、ようやく天国での再開が叶い

喜んでおられることと思います。

 

ご冥福をお祈りいたします。

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