金本知憲さんの経歴・ご活躍まとめ・その1[2018・野球殿堂入り!!!]

   




星野仙一さんの死去直後、

ずっしり沈んだ句期間漂う日本球界に、明るいニュースが飛び込んできました!!!

本年度、野球殿堂入りが発表!

スポーツ報知が報じているところによると、、、

 

今年の野球殿堂入り表彰者が15日、都内の野球殿堂博物館で発表され、

プレーヤー表彰で巨人、ヤンキースなどで日米通算507本塁打の松井秀喜氏(43)と

メジャー記録を上回る1492試合連続フルイニング出場を達成した阪神の金本知憲監督(49)、

エキスパート表彰では巨人で通算382本塁打、監督としてリーグ優勝7回、日本一3回、侍ジャパン監督として09年WBCを制した原辰徳氏(59)が選出された。

また、特別表彰では中京商(現中京大中京)の選手、監督として春夏の甲子園に優勝、中京大監督として全日本大学選手権を制し、多くのアマ野球指導者を育成した瀧正男氏(2012年死去)が選出された。

松井秀喜選手といえば、イチロー選手と並んで長いことメジャーで大活躍。

ゴジラの異名で知られた大スターですね。

原辰徳監督も、読売巨人軍、そしてWBC日本代表を率いた監督としてもよく知られています。

が、私失礼ながら阪神の金本知憲監督って、あまりどういう方なのかピンときませんでした。(ファンの方ごめんなさい)

ということで、今回は彼の経歴、選手としてのご活躍などをまとめていこうと思います!

どん!

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金本知憲・プロフィール(高校まで)

 

名前:金本知憲(かねもと・ともあき)

出身:広島県広島市、広陵高等学校、東北福祉大学

生年月日:1968年4月3日

体格: 身長180cm、体重88kg

投球、打席:右投げ左打ち

ポジション:左翼手

プロ入り:1991年、広島東洋カープ

引退:2012年10月9日、阪神タイガース

野球殿堂入りされるくらいですから、さぞかしリトルの頃から大活躍のスター選手だったんだろうと思いきや

そうではなかった様子。

小学校4年で入部した「広島中央リトル」では、

実力が追いつかず練習についていけなかったので一年で退部。

その後は町内会のソフトボールや中学の軟式野球に親みます。

というわけで本格的に硬式野球に戻ったのは、広陵高校に入学してからのことでした。

2年生からレギュラーとなりますが、広島大会準優勝が最優秀成績で、甲子園出場はありませんでした。

なんだかこれを見ただけだと、野球殿堂入りしちゃうようには見えませんよね?(失礼)

その後何が起こったのでしょう???

監督に騙され散々な目に〜プロ入りまで

 

甲子園出場は果たせなかったものの、金本選手は法政大学野球部のセレクションを受けるべく、

準備を進めていました。

が。ここでチームの監督がとんでもないことをしでかします。

本来8月に行われる法政のセレクションの日程を12月だと金本に告げ、金本はセレクション受けられず、浪人となります。

そしてよく年。

心機一転、中央大学のセレクションを目指しますが、これがなんと浪人の選手は受けられない決まりだったのに

監督がそれを金本に告げず、またもや受けられずじまいに。

*みなさん、重要なことは人任せにせず、自ら確認を取るようにしましょう笑

監督も悪いですが、他人をせめても人生戻ってはきません。) 

ヤクルトの入団テストも受けますが、これも不合格となり、そのまま致し方なく大学進学を決意します。

しかしこれが思ったよりいい結果をもたらすこととなるのです!

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大学時代〜ドラフト

 

東北福祉大学へは一般受験だったものの、そこでその後恩師となる伊藤義博監督に出会い、

一年生から野球部レギュラーを掴みます。

大学リーグでは通算52試合出場、打率は0.382と素晴らしい結果を残し

最優秀選手にも選ばれるという快挙を達成!

主力メンバーとして4年連続で全国出場を果たし、最後の年には3度目の決勝で、

なんと延長十七回を制し、初優勝を達成!

左手首を骨折していたにもかかわらず勝ち越しの2塁打を打ち、当時無名だった大学を全国優勝に導く立役者となりました。

そんな活躍がドラフトで功を奏し、なんと自らの地元である広島カープから4位指名を受け入団。

契約金6000万、年棒720万と言われています。

続きはこちらの記事で↓

金本知憲さんの経歴・ご活躍まとめ・その2[2018・野球殿堂入り!!!]

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