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[オウム]岡崎一明の家族や実家と生い立ち・入信や教団脱走の理由とは?

平成最大の大型事件とも言える『オウム真理教』死刑判決を受けた13人の死刑囚全員の執行が本日執行されました。

なんと地下鉄サリン事件発生から23年もの時間が流れてようやく決着がついたわけですが、これだけの時間が流れると、もはや若い人の多くはほとんどオウムが引き起こした事件について知らないのではないでしょうか。

教祖であった麻原彰晃が最盛期はなんと一万人以上の人々を巻き込んんだ大集団を作り、地下鉄にサリンを撒くという暴挙に出たわけですが、一体なぜこれだけの人数が骨董無形とも言える教えを布教していたオウムに入信してしまったのかは本当に不思議。

今後同じようなことが起きることのないよう、今回死刑が執行された死刑囚の生い立ちを追ってみたいと思います。今回は岡崎一明について、家族や生い立ち、入信のきっかけなどについて紹介します。

岡崎一明の生い立ち

出典:そらてん日記

誕生: 1960年10月8日 山口県美祢市
死没: 2018年7月26日(57歳没)愛知県名古屋市東区白壁(名古屋拘置所)
ホーリーネーム: マハー・アングリマーラ
ステージ: 大師
入信: 1985年
関係した事件: 男性信者殺害事件 坂本堤弁護士一家殺害事件

学問の才能に恵まれ、優秀でごく普通の家庭で育った幹部が多かった中、岡崎の経歴は異例です。

岡﨑家の次男として未熟児で生まれたその10か月後に、実母が養育放棄で失踪します。残された実父はその1年後、一明を佐伯家へ養子に出して(2歳3ヶ月)再婚。

この衝撃的な出来事が幼い彼の心に大きな衝撃を与え(当たり前ですね)、4歳頃まで言葉の発達が遅れ、飼い犬とよく遊んでいるような少年でした。その頃は、流行歌のワンフレーズを養父母の前で歌tたり、絵を描くのが好きだったと言われています。

またこの引き取られた家はかなり貧しく、一時期、水道も無い片田舎に暮らしていたようです。

そして彼の宗教観に大きく影響したと思われるのが養母で、彼女には宗教遍歴があったようです。

岡﨑が3歳のころ、三輪車ごと工事中の穴に落ちた時、ケガも無く穴の中に立っているところを発見されたという出来事があり、そんな時のこの養母は、近くにお稲荷さんの祠があったことから、「若いお狐様から助けられたんじゃ。一明と一緒に遊んでおられたんじゃ。」と言って喜んだと言います。

彼を大事に育てた養父母だったようですが、このように言われて育った岡﨑には、宗教的な考え方が知らず識らずのうちに育ってしまったのかもしれませんね。

また養父も創価学会(同じく新興宗教)に入信し、岡﨑は5歳の頃から、毎朝手を合わせ、御題目を掲げていたり、富士宮市の総本山大石寺にも連れられて行ったりしています。

またこの養父は小学校も出ていないのか殆ど読み書きができず、気が荒く家庭内暴力もふるっていたようでこのような辛い現実がご両親を宗教へ走らせたのもしれないですね。

幼い頃から死についてよく考えることがあり、「自分が、死んで無くなるとは、今、思う心や意識まで、この世から消えてしまうのか。」と、まるで奈落の底、虚無の闇へと引きずられるような戦慄を覚え、凍て付いた体験をしたことがあったと言います。

これがきっかけでますます宗教にのめり込んで行ったようです。

また不思議なことに彼はとてもたくさん事故にあった経験があり、自転車でダンプカーにはねられたりとなんと4回も大事故にあっていますが奇跡的にほとんど傷つかずに助かっています。

偶然でしょうが、このような体験も宗教への信仰心を強めてしまったのかもしれません。

そんな一方で学校ではごく普通の少年で、中学生時代は2回の転校をしたものの、柔道部。剣道部、ブラスバンド、落語部、美術部などに入っていて、小学校6年生からは家計を助けるために新聞配達をしていたと言います。

しかしこの頃から養父との関係はあれ、親子ゲンカの際、売り言葉に買い言葉になり、養父に『うるさいお前なんか息子じゃない。他人にもらった子だ』と言われて自分が養子だと知ったと言います。

多感な時期にこの仕打ちはかなり精神的に辛かったことでしょう。

高校は山口県立小野田工業高等学校工業計測科(現・電子計測科)に入学。高校の学費は奨励金で賄い、剣道部の部長もやり、日曜日はゴルフのキャディーや遊園地のアルバイトや土方をやりながら、その収入で身の回りの生活用具をそろえる、という勤勉で真面目な働き者でした。

勉強が好きだった彼は、働きながら山口大学の夜間部に進学する予定で願書まで用意したと言いますが、就職先の土木会社の社長が入学金を渋り、無視する態度に3か月で辞め、その後は1年ほど製造業社に勤務。人のために役立つ仕事がしたいという思いから、その後学習教材の営業として入社。

営業マンとしての彼はとても優秀で、翌月には新人賞を得て、トップの営業成績のまま最年少の所長として松江市に栄転も果たしています。わずか二十歳の頃でした。

オウム入信と脱走

その後養母がアルツハイマーになり、一体なぜ自分にはこれだけ不幸が続くのかと思い悩んだという岡崎。家族に悪いものが憑いているのでは、と養父とともに先祖供養の方法を学んだり、墓参りに通ったりもしていたと言います。

精神世界に関するほんも読み漁り、オウムに入信する前にも様々な宗教について調べ、入信と脱会を繰り返しています。

麻原の雑誌記事をみたのはこの頃で、オウムの教えに感動した彼は、雑誌の掲載内容が本当かどうかオウムの本部に電話をかけたようです。その時になんと教祖の麻原が電話に応対し、そんなこともあって入信を決めました。

とにかく不幸が多かった人生から抜け出したかった彼は、本物の指導者を求め、新興宗教の教祖や神通力があるとされる著者及び活動家に直接架電して、解脱や救済について問答し、確かめていました。しかし当時、そのだれもが傲慢な態度で、麻原のように丁寧に解説し、個人を大切に指導する指導者は全くいなかったといいます。

麻原彰晃に人を惹きつける力があるとすると、このような態度が人々の心に入り込んだのかもしれませんね。

入信してからはセールスマンとしての経歴を生かし、麻原の著作のセールスなどを行なっていたようです。また坂本弁護士事件では実行役として犯行に加担。この時点で殺人者となっていた彼は、教団が選挙活動を行なっていた真っ最中、なんと教団の金3億円を持ち逃げして脱走を測りました。

実際に凶悪事件に加担したことでオウムの凶悪性、まともな宗教ではないことに気がつき恐ろしくなったのでしょう。3億はオウムによって取り戻されましたが、坂本弁護士事件をネタに麻原彰晃を脅して口止め料1000万円を受け取っています。

オウムを抜けた後には故郷の山口県で学習塾を開いていました。

逮捕後

坂本弁護士事件がオウムの犯行だとわかったきっかけは、岡崎の自首でした。

しかし本人が犯行に加担しており、また自首が後悔によるものではなく、自分の保身のためであったと解釈され、一連のオウム事件の裁判で一番に死刑が確定しました。(遺族も極刑を希望していました。)

自首が大きく考慮され、死刑回避された林郁夫(地下鉄サリン事件実行犯)とは大きな違いが現れています。林の場合はまだ誰も林が実行犯などと思っていない時点で自主し、激しい後悔の念を述べ、また遺族も必ずしも極刑を望まなかったことなどが考慮されたと考えられています。

弱みに付け込まれた結果とはいえもちろん彼らのやったことは許されることではありませんし、

死刑は至極当然です。

しかし麻原は多くの人の命を奪っただけではなく、日本の研究の最先端を行ったかもしれない優秀な研究者や医師までもを洗脳し、地下鉄サリン事件をはじめとする数々の事件を引き起こし、多くの人、日本社会に被害を与えました。彼もまた、ごく普通のサラリーマンとして生きていたかもしれなかったわけですね。

麻原さえいなければ、別の道を生きる事ができた人々が大勢いたことを思うとなんともやりきれない気持ちになると同時に、今後2度と同じような悲劇が起きることのないよう事件を風化させないようにすることが大切だと感じます。

私を含む若者がこれからも人生のあちこちの時点に置いて、生きることの意味を考えたり、生き方について迷ったりすることがあるでしょう。そのような時、私たちが頼るべきものがカルトであってはいけない、25年前同じような若者たちに何が起こったのかを、忘れてはいけないと思います。

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