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[オウム]村井秀夫の死因と事件の概要・生い立ちや人物像は?

長らくに渡って日本を震撼させた、平成最悪の犯罪集団オウム真理教。地下鉄サリン事件から23年の時をへて、ようやく教祖出会った麻原彰晃(松本智津夫)の死刑が執行されました。

十三人いるオウム真理教事件の死刑囚たち。ここに今も生きていればおそらく14人目としてなを連ねていたであろう、村井秀夫という人物をご存知でしょうか。

オウム真理教の最高幹部の一人であり、麻原に次ぐナンバー2とも言われた人物でしたが、何者かに刺され、逮捕起訴される前に無くなっています。

改めてこの村井秀夫がどんな人物だったのか探ってみたいと思います。

村井秀夫の生い立ち

誕生 :1958年12月5日 日本 大阪府吹田市
死没: 1995年4月24日(36歳没) 日本 東京都渋谷区恵比寿
ホーリーネーム: マンジュシュリー・ミトラ
ステージ: 正大師
教団での役職: 科学技術省大臣
入信: 1987年4月
関係した事件: 坂本堤弁護士一家殺害事件・松本サリン事件・地下鉄サリン事件

他の多くの教団幹部がそうであったように、彼も幼い頃は優秀で

子供の頃は内向的でSF少年であり、また動物や望遠鏡で星を観察するのが趣味、勉強は得意で体も丈夫な子供でした。

テレビの影響で超能力や精神世界、仙道、ヨガなどに興味を持っており、オウム。また、へ入信するきっかけの一つだったと言われています。また、1972年に友人の兄がトラックへ飛び込み自殺する光景を目撃しています。

オウムへ入信した多くの若者は、『生きること、死ぬことの意味』や『人生で成し遂げるべきこと』などに興味をもち、それらを解明できるのが麻原だと信じて入信していったと言われており、彼にもその傾向があったと思われます。

大阪府立千里高等学校ではただ1人無遅刻無欠席を成し遂げ表彰され、その後、「歩いて通えるから」という理由で大阪大学理学部物理学科にトップ合格しX線天文学を専攻。大阪大学大学院理学研究科修士課程修了、理学修士となっていることからも非常に勉強のできる人物であったことがわかります。

ただし彼については、オウム内部の人物達からは

村井さんは机上の学問では優秀だったが20個を超えたプロジェクトははしにも棒にもかからぬ失敗ばかりで、そのコントラストの酷さは世界中探しても見つからないほどだ」 -土谷正実

 

村井さんの指示で動くことが非常にいやだった」 -林泰男

など、あまり評判のいい人物ではなかったようです。

オウムへの入信

神戸製鋼に入社し金属加工の研究に携わるエリートでしたが、当時会社にも家庭にも生きがいを感じなかったようです。その頃、麻原彰晃の著書『生死を超える』『超能力秘密の開発法』などを読み、1987年4月、オウム大阪支部を訪れ、感銘を受けた村井は翌日に会社に辞表を提出し、オウム神仙の会に入信、

1985年4月に職場結婚した妻の森脇佳子(後に土谷正実の部下としてサリン製造等に関与し実刑判決)を伴って、1987年6月夫婦で出家しています。出家を決めた際に彼の両親は必死で止めたそうですが、リチャード・バックの『かもめのジョナサン』の日本語訳を手渡して、「この本を読んでください。僕の気持ちはこの本の中にあるから」と語り聞く耳を持ちませんでした。

出家後、彼は科学者としての知識を生かし、様々な機器を開発。よくオウム真理教の信者が頭に被っていた頭に電流を流すためのヘッドギアも彼が開発したもので、それをきっかけに教団最高幹部に上り詰めました。

彼の発明品はかなりSF的な発想による非現実的なものが多く、実際にテロに使用された兵器類は彼の部下達(土谷正実、中川智正など)である優秀な青年達によって作られたものがほとんどでした。

麻原を崇拝していたのはもちろんでしょうが、彼の場合はオウムの狂気的な兵器の開発や非人道的な数々の事件をおも白がっていたようなふしがあり、麻原に巻き込まれたというよりは本人がどんどん麻原に近づいていったような印象を受けます。

部下や信者に対する残酷な側面もよく知られており、林康男が村井の部下に据えられた際は他の幹部の多くが林に『御愁傷様』と言葉をかけられたというエピソードが残っているなど、あまり好人物ではなかったようです。

1995年4月23日に東京都港区南青山の教団東京総本部前で指定暴力団・山口組系羽根組の構成員の徐裕行によって刺され、病院に搬送、手術をしたものの「ユダにやられた」「私は潔白だ」と言い残して翌24日午前2時33分に出血多量によりなくなりました。

これによって、逮捕されていれば確実に行われていたであろう村井の裁判はなくなりましたが、教団でかなり重要人物だったと思われる村井の死去により事件の全容解明にかなり時間がかかってしまいました。

刺された原因についてははっきりした理由がわかっていませんが、村井がなんらかの形で裏社会との関係があり、何かの口封じのために刺されたのでは?などと言われています。

もっとも当時教団幹部で『ああ言えば上祐』と言われた上祐氏(村井と仲が良かったと言われている)は、村井が裏社会と関係があったとは思えないと発言していますのでなんとも言えませんが。

 

まとめ

この村井秀夫に関しては教団が地下鉄サリン事件を起こした直後に亡くなっているため、完全に教団を信仰したまま亡くなったと思われますが、地下鉄サリン事件後に『みんなを犯罪者にしちゃったな。』と呟いたという説もあり、教団がやっていることが犯罪だったという認識があった可能性も高いと思われます。

麻原が何も語らなかったオウムの内情について語れる人が何も言わないままいなくなったというのは非常に残念です。

彼もまた、麻原がいなければその頭脳を社会の役に立てる優秀な研究者への道を歩いていたのかもしれないのですから。

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