23年前、地下鉄サリン事件を引き起こし、日本史上最悪のカルト事件として世界を震撼させた『オウム真理教』
ようやくなのか突然なのか、とうとう死刑判決を受けていた13人のうちの七人の刑が執行されたことがわかりました。

多くの被害者を出した稀に見る怪事件でしたし、一連の事件で死刑囚を13人もだしたというのは前代未聞です。
もちろん世間に与えた影響や、被害者の苦しみを考えれば死刑で当然なのですが、個人的には死刑執行について残念な気持ちが残るのもまた事実。麻原彰晃を除いた事件の加害者は、加害者であると同時に、麻原によって洗脳され人生を台無しにされた被害者でもあると思うからです。
自分勝手な人生観で『自分の人生に嫌気がさし、ただやりたかったら事件を起こした』というようなケースとは完全に一線を画しています。
その中でも特に気になったのが広瀬健一死刑囚。彼は早稲田大学院時代に国際学会に発表した論文、『高温超伝導の二次元』が当時の世界トップサイエンスであると評価されたこともある文字通りの天才で、日本版アインシュタインになったかもしれない頭脳の持ち主だったそうです。
優秀な若者が、一体どこで道を踏み外したのか。気になったので、本日は『広瀬健一の生い立ちや家族、入信のきっかけ』などについてまとめました。
地下鉄サリン事件から23年がたち、私も含む25才以下の方は事件についてほとんど記憶がない方も多いと思いますが、事件を風化させずになぜあのような悲劇が起きたのか、なぜ死刑囚となった彼らはオウム入信への道を辿ってしまったのかを知る事が同じような事件を繰り返すことを防ぐことと思いますのでこのような記事を書きました。
被害者を含む読者の方に不快感を与えるような表現は避けて書いていますが、何かご意見などありましたらコメント欄からお伝えいただけますと幸いです。
広瀬健一の経歴

東京都出身。明るく温厚な性格で、幼少期はエンジニアになりたかったと言います。
府中市内の小学校似通い、新宿の進学塾にではトップクラスの成績を修めました。父親に勧められて始めた剣道にも生真面目に取り組み、中学3年生の時に初段の免状を受けています。
この頃、中学の教師からも「級友の面倒がよく、素晴らしい生徒に出会えて幸せだった」と絶賛されているようで、性格的にも学力的にも問題のない子だったようです。
高校は早稲田大学高等学院に進学。ご家族によると、裕福な家庭ではなかったため、家計を助けるため自ら率先して高校から大学院にかけて奨学金を受け、学費の殆どを自身で工面、しかも母親と一緒にメッキ工場でアルバイトする、優秀で心の優しい人物でした。
大学は早稲田大学理工学部応用物理学科に進み、応用物理の道へ。この学部選択の理由がとても面白いのです。
高校3年生の時、家電店で値引商品を見て「技術開発をしても直ぐに新しいものに取って代わられ、商品価値が失われたり、軍用兵器に転用されたりする」と、虚しさを感じ、半導体素子のような研究ならすぐに何かに取って代わられることもないだろう、世の中の役に立てるだろう。と物理の道を選びました。
自らのエゴではなく、社会の役に立ちたい、という思いから学問に励んでいた人物だったことがわかります。
大学時代も学費捻出のためにアルバイトに励み、そんな中でも卒論では高温超伝導を発見。大学を首席で卒業し、総代も務めました。
広瀬健一について、学部4年・修士2年の3年間を指導した教授は『これまで指導した学生の中でトップクラスの秀才」「博士課程に進んでいたらノーベル賞級の学者になっただろう。』と道を大きく誤った教え子について、後に振り返っています。
ここまでの経歴は見た限り素晴らしいもので、なぜこの人物があれだけの大事件を引き起こしてしまったのか理解に苦しみます。真面目に働き、学費を捻出し、世界の物理学の権威になったかもしれなかったのに、なぜ死刑台に送られることになってしまったのでしょうか。
広瀬健一の家族
広瀬健一はご両親と妹の四人家族で育ちました。
メッキ工場に務める共働きのご両親で決して裕福ではなかったようですが、夕食は必ずみんなでとる、仲のいい家族だったようです。
進学塾に通わせる、剣道を習わせるなど、非常に教育熱心な家庭だったことも伺えます。ごく普通の家庭で育っており、彼が道を誤ったのは決してご両親のせいではないでしょう。
家族思いだった広瀬は、入信しても家族を心配し、長男だったことなどから出家しようとはしませんでした。しかし洗脳が進み、麻原に操られるようになった広瀬は教団のために出家を決意。化学兵器を開発することを目論んでいた教団は、広瀬をはじめとする化学、物理、医学などに秀でた人物を欲しがったと言われており、かなり強引に出家を勧められたと考えられます。結局『自由に研究ができる』『家族が栄えるから』などと家族を言いくるめ、出家しました。
これだけの優秀な息子さんだったのですから、ご両親も信頼していたのでしょう。いくら反対しても聞かない息子に、最後は母も『最後だから』と赤飯をたいて送り出したそうです。
出家当日、広瀬は『自分の思うところでなかったら帰るから。』と家族に言い残し出て行ったそうですが、結局逮捕されるまで家に帰ってはきませんでした。
逮捕され、両親が警察に呼ばれた際に、両親は『息子がサリンを撒くなんて信じられない、何かの間違いだ』と訴えたと言います。
健一さんについて、彼のお母さんの発言が記録に残っています。
「(広瀬死刑囚は)どんな子供だった?」
広瀬死刑囚の母「健一は、親にも妹にも優しいいい子でした。高校から大学院と奨学金を取りアルバイトをして親に負担をかけまいとしていました。就職もNECに内定して喜んでいたのです」
広瀬死刑囚の母「息子の裁判で親として証人台に立った時。弁護士から<どうして被告人(息子)はこのような罪を犯すことになったと思いますか>と聞かれ<運が悪かったと思います>と答えてしまいました。このような答えをしてしまったことについて、被害者遺族の皆さんには大変申し訳ないと思っています。本当に運が悪かったのは被害者遺族の皆様なのですから。
それでも息子が麻原の本と出会ってさえいなければ、という思いがあって、そんな浅はかな言葉になってしまったのです。被害者遺族の皆様には重ねてお詫びしたいと思います」
事件で被害を受けた被害者の辛さはさることながら、優秀で優しかった息子を教団に奪われたご両親の心中を思うと心が痛みます。それだけ洗脳は強烈なものだったのでしょうし、この一家に起きたことが私たちの誰にでも起こりうることだと考えると、よりオウム真理教の恐ろしさを感じます。
オウム真理教に入信したきっかけは
物理専攻で非常に論理的なものの考え方をするタイプだった広瀬は、もともと宗教は胡散臭い、とほとんど信じていなかったようです。
物理学者として大学で研究をしていた彼は、いくら素晴らしい発見でも物事が変化していくことで使い捨てされてしまうことへの虚しさを日々感じていたことから、自らの生きる意味や目標を求めて様々な本を読み漁り、書店で麻原彰晃の著作を読んで教団の存在を知ります。
当時は今のような『オウム真理教は危険』というようなイメージもなく、麻原の著書に読んでただ興味を持ったようです。
その後、教団のヨガ講座などに参加する過程でいくつかの幻覚体験をしたことで、制御に困った彼は教団に指導を求めるようになり、徐々に洗脳されていきました。
逮捕されてからの広瀬
広瀬は逮捕されても洗脳がなかなか解けず、またサリン事件について、『現代人は悪業を積んでいて苦界に転生するので、命を絶つことで悪業を消滅させ、高い世界に転生させる』とのオウムの教えを信じて事件を起こしていたため、命を奪うことを救済と考えており、当初は悪いことだという認識もなかったようです。
ごく普通に育った青年がこのような考え方を受け入れ、信じていたということからも洗脳の恐ろしさが伺えます。
その後、麻原の裁判での奇行を目にしたこと、教団から離れた環境に身を置いたことで徐々に洗脳が解け、最終的には麻原について
恐らく、今も何らかの形で自分を最終解脱者、救済者として正当化していると思うので、早くそのようなことをやめて、今までの経過を直視して真実を見極めてもらいたい。
と発言しています。
事件の9年後の2004年には、NHKへ宛てた手紙のなかで「私は愚かにも殺人というイメージの湧かない状態でした。麻原の指示が絶対になっていた」と発言。
また大学生に対し、今後学生が自身と同じような道を辿らないようにとの意味を込め、若者の宗教団体への入信を防ぐために手紙を残しています。

手紙を被害者に書くのに汚い字では申し訳ないと、獄中でペン字を練習したという広瀬の手紙がこちらです。ものすごく真面目な男だった、という教団内部の者の証言が滲み出たような達筆です。
まとめ
オウム真理教の元幹部で、地下鉄サリン事件の実行犯だった広瀬健一の生い立ち紹介しました。
早稲田大学時代のの教授は彼について、『秀才だが、無邪気でひとを疑うことを知らなかった』と発言しており、
中学時代の友人は、『温厚でシャイ、誠実で真面目、論理的だが自我に固執する人間ではない』といっていることからも、素直で人を信じやすく、洗脳されやすいタイプの人間だったことがわかります。
麻原は多くの人の命を奪っただけではなく、日本の研究の最先端を行ったかもしれない優秀な研究者や医師までもを洗脳し、地下鉄サリン事件をはじめとする数々の事件を引き起こし、多くの人、日本社会に被害を与えました。
麻原さえいなければ、別の道を生きる事ができた人々が大勢いたことを思うとなんともやりきれない気持ちになると同時に、今後2度と同じような悲劇が起きることのないよう事件を風化させないようにすることが大切だと感じます。
私を含む若者がこれからも人生のあちこちの時点に置いて、生きることの意味を考えたり、生き方について迷ったりすることがあるでしょう。そのような時、私たちが頼るべきものがカルトであってはいけない、25年前同じような若者たちに何が起こったのかを、忘れてはいけないと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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