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[オウム]林康男の家族と実家・両親や生い立ちとオウム入信のきっかけを解説

地下鉄サリン事件をはじめとする数々の凶悪事件で日本を恐怖に包んだ新興宗教団体、オウム真理教の元幹部たちが死刑に処されました。

23年前の3月、たまたま事件に遭遇してしまった方々、そのほかの事件で被害を受けられた方々には心からお見舞い申し上げます。麻原彰晃が系に処されるまで随分と長い時間を要してしまい、当時の事件を知らない若者も増えてきています。麻原彰晃がとんでもない危険思想の持ち主だったことは明らかですが、今回改めて元幹部たちに注目すると

非常に優秀で未来のある、もともとは人格者だった若者たちが洗脳され、あのような悲劇を引き起こしたことがわかります。今後同じように人生を崩壊させてしまう若者を出さないためにも、元幹部たちの人生を調べています。

今回は『林康男』に注目し、彼がどんな環境で育ち、オウムへの道を歩んでいったのか紹介したいと思います。

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林康男の生い立ち

誕生: 1957年12月15日(60歳)東京都小平市
ホーリーネーム: ヴァジラチッタ・イシディンナ
ステージ: 正悟師
教団での役職: 科学技術省次官
入信 :1987年
関係した事件: 松本サリン事件・地下鉄サリン事件

国鉄職員の次男として生まれ育ちました。中学校3年生時に高校受験のため戸籍謄本を取り寄せた際に、父親がもともと朝鮮籍で1959年(林が2歳の頃)に帰化していた事実を知り、自身も帰化。

日本社会の朝鮮人を蔑視する風潮や偏見が自分の心にも存在していたことに対し、非常に苦悩したようです。祖父は戦前に日本に渡り、在郷軍人会の仕事に就いていましたが、祖母とともに北朝鮮の秘密工作船支援の容疑で、日本の公安調査庁の重要監視対象者でした。父は1950年から国鉄に勤め、1978年に病死後、軍功により勲七等青色桐葉章に叙されています。また伯父と叔父は北朝鮮に帰国。

父親は無くなっていますが母親は現在も存命だそうです。林康男がかなり古参の信者であることもあって相当のご高齢のようです。夫に先立たれ、息子は死刑囚。本当にお気の毒でなりません。

この複雑な出生、国を跨いだアイデンティティを持っていたことにより、自身の人生をはなんなのか、生きることとはなんなのかを強く意識した青年時代を過ごしました。

1974年1月、校則が厳しいことを知らず入学した國學院大學久我山高等学校を中退し、東京都立立川高等学校定時制に入学。高校在学中には電気工事士の資格を取得しています。1983年に工学院大学二部電気工学科で人工知能を研究、

卒業後は、就職せずに4年間世界各地を旅行しました。これが彼の人生においての転機となっています。

南北アメリカ大陸では貧困などの惨状を目撃し、アメリカ合衆国も人種問題を抱えていることにとても失望します。最終的に彼が好感を持ったにはインド。またこの度の影響でヨーガやチベット仏教への興味を持ち、麻原彰晃の著書『生死を超える』を読んだことがきっかけでで1987年5月に「オウム神仙の会」に入信しました。1988年12月6日には出家しています。

 

教団内での林康男と地下鉄サリン事件

彼と他の幹部とのもっとも大きな違いは、洗脳されていた時においても人間的な優しさを失わず、教団の狂気的なものを認識していて恐れていたことでしょう。また、麻原がよく盗聴をおこなっていたに対し、『最終解説者であり預言者の麻原がなぜ盗聴する必要があるのか』と考え、麻原の言動の矛盾に気が付いていました。

麻原の4女によると、教団内の子供の面倒をよく見る真面目な性格だったとのことです。

地下鉄サリン事件の実行犯な訳ですが、サリンをまくという行為については『サリンプラントの電気工事をしたり説法で何度も聞かされたこともあるので有毒性は知っており、嫌だと思ったが断ったらリンチされると思い承諾した。』当時彼よりも立場が上だった村井秀夫は一応「嫌なら断ってもいい」と言ったと言いますが、「断ることは当時の自分たちには無理であることを村井さんは分かっているのに、そう言うのは残酷だと思った」と証言しています。

他の多くの幹部が『命を奪うことによって魂を浄化し、より幸福にするのだ。』と信じており悪気がなかったのに対し、彼はサリンをまくことが何を意味するのか認識はしていたようです。

サリン事件後、他の実行犯はすぐに逮捕されましたが林は逃亡。地下鉄の中で彼だけが複数のサリン袋を撒いたために『殺人マシーン』ととんでもないあだ名をつけられ指名手配されます。

よく年沖縄県石垣島で逮捕された際、彼は自らが殺害した犠牲者の祷りのために小さな位牌を常に持ち歩いていたと言います。

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林康男・本人の性格

事件当時は一人だけ複数のサリンを撒いたことからひどく残虐で恐ろしい男だと報じられましたが、彼を知る人々の林に対する印象は違います。

オウム元広報副部長の荒木浩は「とにかく穏やかで常識のある方」と評しており、拘置所で面会している日本テレビディレクターの森達也もこれに同意していますし

工学院大学時代には鮮魚店のアルバイトを続けていた店の店主に夜と、店主が病気を患った際には早朝の市場への買出しから店番まで代わりに行うほど真面目な青年だったと言います。

オウム被害対策弁護団の滝本太郎弁護士は、「少しはずるかったり危ない人であって欲しかったのですが、面会してみればいい青年なんです。参ったです。彼に対する一審死刑判決で異例のことに「およそ師を誤まるほど不幸なことはなく、この意味において、被告人もまた、不幸かつ不運であったと言える」とあるのは、そのとおりでした」とおしゃっています。

調べれば調べるほど、もっと悪いやつは世の中たくさんいるのにも関わらず、師を誤ったばかりに林を含めた彼らがこのような残酷な運命を辿ることになったのは本当に残念です。

素直で人を信じやすかった性格が災いし他のでしょうが、もう2度と、このような事件が起きて欲しくないですね。

麻原という男は事件の被害者たちとご遺族だけではなく、この12人の死刑囚の命も奪い彼らの家族から大事な息子を奪ったのです。

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