[オウム]林郁夫の家族と実家・生い立ちや無期懲役の理由を解説

   




平成を震撼させた凶悪新興宗教集団、オウム真理教の元教祖であった麻原彰晃と、6人の元幹部たちの死刑が執行されたことが大きく報じられました。

地下鉄の中にサリンを撒き、13人の命と6000人以上の人の人生を奪った教団は、もともとヨガ教室から始まったグループでした。

1995年3月20日、事件直後の日本では、この恐ろしいテロの実行犯たちの高い学歴が公表され、全国民はいったいなぜこの人たちがこんな不気味な宗教にほだされてしまったのかと唖然としたものでした。

サリンを撒いた実行犯の中で、唯一死刑を免れ無期懲役刑に服している男がいます。

今回はその林郁夫受刑者に注目し、彼の生い立ちやオウム入信のきっかけ。そしてなぜ彼だけが死刑を回避されたのか、その理由について紹介していきます。

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林郁夫の生い立ち

出典:産経新聞

 

もともと優秀な医師だったことでも知られている林郁夫は、どんな家庭に育ちどうしてオウムへの道を歩んでしまったのでしょう。

誕生: 1947年1月23日(71歳) 日本・東京都品川区
ホーリーネーム: クリシュナナンダ
ステージ: 正悟師
教団での役職: 治療省大臣
入信: 1989年2月
関係した事件: 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件、地下鉄サリン事件

林郁夫は1947年、品川に生まれました。父親が医師、母親が薬剤師の開業医の家に生まれ、裕福な家で不自由なく育ちました。将来は父の背中を追い、人助けがしたくて医師の道を選んだと言います。それが後に人の命を奪ってしまうのですから皮肉なものです。

専門は心臓血管外科。中学から慶應義塾中等部に通い高校もそのまま慶應義塾高等学校。慶應義塾大学医学部卒という絵に描いたようなエリート医師でした。

アメリカ合衆国に渡り、病院で勤務していた経験もあり、のちに退職して日本に戻った後には栃木県済生会宇都宮病院、国立療養所晴嵐荘病院(現・茨城東病院)、慶應義塾大学病院などに勤めています。

医師としての林郁夫はとても優秀だったようで、勤務医時代には心臓外科の名医として石原裕次郎さんの手術チームの一員を務めたこともありました。

ところが臨床医として癌などの死病の患者と接するうちに、現代医学や科学が乗り越えられない医療の限界と葛藤するようになり、「死」に対して深く考えるようになっていきます。どれだけ優秀な医師でも救えない患者はいますし、それは仕方のないことですが、直してあげられない人がいるという現実が辛かったのかもしれません。

1977年、桐山靖雄の本に感化され、阿含宗の正式な信徒となったり、1978年にはアメリカデトロイトにあるサイナイ病院外科研究所に留学をしたりと、彼なりにもっと自分を高めようと葛藤。

手術は出来ても人の心は救えないと悩んでいました。同時に予防医学の重要さを認識するようになり、心臓病などはストレスと深くかかわっていると認識したことから、患者にヨーガ、瞑想法、呼吸法などを紹介したりしていたこともありました

基本的には患者を救いたいと願う、優秀な一人の医者だった林郁男。なぜこの人が地下鉄にサリンをばらまいたのか、本当に理解に苦しみます。

 

林郁夫の家族

多くのオウムの幹部たちがまだ年端の行かない若者だったことに対し、林は社会経験も豊富な年長者でした。

オウムに入信する以前の1980年に芦田りらという女性と結婚し、長女、長男の二人の子供にも恵まれています。彼女も麻酔科医として活躍していた人物で、夫がオウムに出家する際には自らも二人の子供ともども出家しています。彼女も夫とともに信者の指紋除去手術を行ったことで逮捕され、懲役一年、執行猶予三年を言い渡されています。

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オウム入信のきっかけは?

他の多くの信者と同じく、オウム真理教に出会った最初のきっかけは、たまたま書店で麻原彰晃の著書と出会ったことでした。

ヨガやインドの伝統医学、オウム食などを用いた修行メニューに衝撃を受け、またこの頃自動車事故を起こし、相手に怪我を負わせたことで自責の念にkられたこともオウムに傾倒するきっかけとなったようです。

1989年2月、オウム真理教に入信。出家する前は、勤め先の病院にオウムの療法を持ち込み、患者に塩水や湯、糸を飲ませたり、ジャンプさせたりし、『林先生はいい先生だけど、最近ちょっとおかしくないか。』と噂が流れました。

 

出家後の林郁夫

医師としての腕を買われ、出家後は東京都中野区にあった教団付属医院の院長として活動。1994年には治療省大臣となって教団の犯罪に従事する信者の指紋消去手術、薬物を用いた信者の記憶消しなどに取り組みます。

この頃にはすっかり医者としての良心を失い、妻に暴力を振るったりなど以前の温厚な人物とは人が変わったようになっていました。

そして1995年3月20日、麻原彰晃に言われるがままにサリンを散布し、二人の命と多くの人の体の自由を奪いました。

 

洗脳が溶けるまでと自供・無期懲役のわけとは?

先日死刑執行された新実智光や遠藤誠一が最後まで麻原への信仰を失わなかったことに対し、この林郁男や早川紀代秀などは比較的早くにオウムの非を認め、洗脳が溶けています。

最初に林郁夫が麻原に疑念を抱いたのは、麻原の「地下鉄の騒ぎでオウムが疑われてるのは心外だ」との発言。そして逮捕後も麻原の「シヴァ神にポアされて良かったね。マントラを1万回唱えなさい」などの発言を聞いてさらに不信感が高まっていきます。

逮捕された当初、警察は林郁夫が地下鉄サリン事件に関わっているとは思っていませんでした。別の事件での取り調べの途中、『人を助けるのが医者の役目でしょう。』と言われ、いきなり突然「私がサリンを撒きました」と地下鉄サリン事件を自供。

当時取り調べに当たった警察官は信じられず、「先生、嘘だろう」「誰かをかばっているの」いったといいます。

その後は洗いざらい全てを自供。冷静に答弁していた幹部が多い中、被害者の家族や亡くなった駅員の話のくだりで「私は本来人を助ける医者でありながら、そういう人達に比べて」と号泣したり、オウム真理教の各種事件についても協力でした。

その結果、東京地裁は「自己の記憶に従い、ありのままに供述していることが認められる。極刑が予想されるなか、臆することなく決定的に不利な事項にまで及んでおり、覚悟したうえでの胸中の吐露であって、被告人の反省、悔悟の情は顕著である。」としており、

また被害者遺族が必ずしも死刑を求めることをせず、また、地下鉄サリン事件で亡くなった地下鉄職員の妻が証人として出廷した際、林を「許してもいい」という証言したことも林郁夫への死刑回避に大きな影響を与えたと言われています。

その後林は上告せず、無期懲役刑が確定。

彼は獄中からオウムに関する手記も書いており、オウム真理教全容の解明に一役買いました。

他の多くの信者がなかなか洗脳から冷めない中、彼が早々に罪を認めることが出来たのにはオウム入信前の社会経験が一役買ったのではと思います。多感な20台前半でオウムに魅了されてしまった多くの他の幹部は、逮捕起訴されてオウムから引き離されるまで、麻原の異常性に全く気がつかなかったものがほとんど。

ほとんどが大学卒業して間もない若者でした。

楽天にて販売されています。

かつての自身が神と崇めた男の死刑をきいた林郁夫が、今獄中で何を思っているのか、それはわかりません。

それでも麻原のような人物の洗脳にかかってしまったのは必ずしも彼らだったからではなく、私たちの誰にでも起こりうることです。

今後も林郁男さんには、今後同じような教団による被害者、巻き込まれる若者たちが出ないように語り続けてもらいたいと思います。

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