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[オウム]端本悟(はしもとさとる)の家族と実家・生い立ちや入信のきっかけも解説

地下鉄サリン事件が発生してから23年。13人の死刑囚たちが全員執行され、長かったオウム事件がようやく一区切りつきました。

これだけの年月が経ってしまうと、私も含めた25才以下の方はほとんどこの事件についての記憶がないでしょうし、あれだけ世間を騒がせた事件が風化しまた起こる可能性があるというのはとても恐ろしいことです。

そこで本日は、26日に死刑が執行された端本悟(はしもとさとる)について、

入信前の彼がどんな人間で一体どんな経緯でオウムへと入信し、死刑判決を受けるに至ったのか、調べてみました。

 

端本悟の生い立ち

誕生: 1967年3月23日 東京都調布市
死没: 2018年7月26日(51歳没)東京都葛飾区小菅(東京拘置所)
ホーリーネーム: ガフヴァ・ラティーリヤ
ステージ: 師長
教団での役職: 自治省
入信: 1988年7月
関係した事件: 坂本堤弁護士一家殺害事件・松本サリン事件  

東京都で新聞販売店を営む両親のもとに生まれ、一人っ子として素直に、反抗期もなく育った端本悟。成績は優秀で、東京都立狛江高等学校卒業後、一浪して早稲田大学法学部に入学しています。当時の夢は弁護士や青年海外協力隊に入ることで、人の役に立ちたいという思いの強い青年でした。

空手サークルに入って3年次から部長をつとめ、空手道場にも通い、体格も良く屈強な印象を与える若者だったと言います。むしろ好青年なイメージですね。

オウム真理教へ入信したきっかけは1988年春、オウム真理教に入信した高校時代の友人を脱会させるためでした。当初はなんとか怪しい新興宗教から友人を救おうと説得したり話し合ったり、友人の様子を見るためオウムのセミナーに参加したりしているうちに、彼自身があっという間に麻原彰晃の説く四無量心・救済などの教えに感化されてしまい、1988年の7月にオウム真理教に入信します。

両親は当時そんな息子をとても心配していたようでしたが、どんどんオウムへ引き込まれていった端本悟は12月31日には大学を3年で退学し、両親の猛反対を振り切って出家。

家を出て行く際は正座して「21年間幸せに育ててくれてありがとう。でも戦争を止めなきゃ」と母親に話して出ていきました。

母親は心配のあまり大学に相談するなどしたが、その取り乱した様子に却って母親自身が心配されてしまったと言います。当時は今のように新興宗教、ひいてはオウム真理教が恐ろしい団体だという印象もなかったでしょうし、入信してしまった人を連れ戻すのはとても難しかったのです。

とうとう死刑が執行されるまで家に帰ることはなかった端本悟について、いまは年をとった彼の母親は自宅で取材に応じ、

『本当に悲しい気持ちでいっぱい。』『オウムに関わり始めたときに、引き戻さないといけなかった。』『あの時引き止めておけば。』

と涙を浮かべて話されました。優秀だった一人息子をこのような形で失い、さぞ無念だと思います。

 

オウム真理教と端本悟

 

1989年に起きた坂本弁護士事件の際には武道の腕を買われて実行犯に選ばれてしまい、結果的にこの事件に関与。その後も彼を脱会させることに力を尽くしていたご両親はオウムの総本部を訪れた際、坂本弁護士行方不明事件の記事を端本悟に見せて脱会を促しました。

殺害犯は自分なのだと知ったら母親はどれだけ動揺するだろうか、と端本は母親が去った後に泣き、様子がおかしくなったがなりましたが、麻原に「前世でお前はワシの息子だった」とフォローされ、「あれはポア(救済)だったんだ」と自分の中で事件を正当化するようになっていきます。

彼の場合は盲目的に麻原を信じていたというよりは、坂本事件に関与したことによって麻原を否定したら自分がただの殺人犯だと認めることになるのが恐ろしく、帰って信仰心が強まり教団を抜けられなくなっていったと思われます。

まとめ

ごく普通に両親に愛されて育ち、成績も優秀で友人を助けたくてオウムに関わってしまった端本悟。

入信してからも両親は『オウム真理教被害者の会』に入会し、なんとか息子を取り戻そうと必死で活動しましたが、結局彼は麻原の力を恐れ、入信前からするとおよそ考えられないような大事件を起こし、死刑台へと消えていきました。

弱みに付け込まれた結果とはいえもちろん彼らのやったことは許されることではありませんし、

死刑は至極当然です。

しかし麻原は多くの人の命を奪っただけではなく、日本の研究の最先端を行ったかもしれない優秀な研究者や医師までもを洗脳し、地下鉄サリン事件をはじめとする数々の事件を引き起こし、多くの人、日本社会に被害を与えました。彼もまた、ごく普通のサラリーマンとして生きていたかもしれなかったわけですね。

麻原さえいなければ、別の道を生きる事ができた人々が大勢いたことを思うとなんともやりきれない気持ちになると同時に、今後2度と同じような悲劇が起きることのないよう事件を風化させないようにすることが大切だと感じます。

私を含む若者がこれからも人生のあちこちの時点に置いて、生きることの意味を考えたり、生き方について迷ったりすることがあるでしょう。そのような時、私たちが頼るべきものがカルトであってはいけない、25年前同じような若者たちに何が起こったのかを、忘れてはいけないと思います。

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