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[オウム]遠藤誠一の家族や実家・両親や兄弟と生い立ちについても解説

戦後最悪のカルト事件として日本だけでなく世界を震撼させた、オウム真理教事件。

麻原彰晃を教祖として崇める不気味な集団が地下鉄にサリンを撒いた地下鉄サリン事件や、坂本堤一家の事件など数え切れないほどの事件を起こした彼らは、長きに渡り収監されてきました。

そんな13人の死刑囚のうち、7人の刑が執行されましたね。

この事件で個人的にとても興味深かったのは、多くの信者(幹部)が元はとても優秀で社会的な信頼のある人物が多かったこと。医師や科学者などのエリートも多く、麻原さえいなければ素晴らしい未来が待っていた人もたくさんいたであろうと思われること。

23年前に起きた事件ということで、若い世代はリアルタイムでの記憶が無い方が多いですし、事件がどんなものであったのかを把握しておくのは大切です。

この記事では遠藤誠一について、彼がどんな幼少期を送り、どんなきっかけで、なぜオウムに入信してしまったのか、またご家族との関係などについてもお伝えしていきます。

地下鉄サリン事件から23年がたち、私も含む25才以下の方は事件についてほとんど記憶がない方も多いと思いますが、事件を風化させずになぜあのような悲劇が起きたのか、なぜ死刑囚となった彼らはオウム入信への道を辿ってしまったのかを知る事が同じような事件を繰り返すことを防ぐことと思いますのでこのような記事を書きました。

被害者を含む読者の方に不快感を与えるような表現は避けて書いていますが、何かご意見などありましたらコメント欄からお伝えいただけますと幸いです。

 

遠藤誠一の生い立ち

誕生: 1960年6月5日 北海道札幌市
死没: 2018年7月6日(58歳没)日本・東京都葛飾区小菅(東京拘置所)
ホーリーネーム::ジーヴァカ
ステージ: 正悟師
教団での役職 :第一厚生省大臣
入信: 1987年3月
関係した事件: 松本サリン事件・地下鉄サリン事件

実家はごく普通に裕福で、父は室内装飾会社の役員、母は世界救世教を信じている家庭に育ちました。キリスト教系の幼稚園を経て、北海道札幌北高等学校へ進学。左耳の難聴があったようですが、幼少期の遠藤は活発で体操、野球、サッカー、スキーなどスポーツを好みました。

北海道札幌北高等学校時代は体操部に所属。

大学進学に関しては、2年のとき愛犬が病気になり、獣医に治療してもらったことから獣医を志し、帯広畜産大学畜産学部獣医学科に進学しています。

このころの周りに人からの評判はよく、母親思いの優しい青年でした。ところがこのころ父が癌で他界。また志していた獣医は飼い主の依頼があれば犬猫を毒殺することもあると知ってしまい、失望してしまった彼は、当時分子生物学に関心を持ったことを契機に遺伝子工学の研究をはじめ、夢を獣医から研究者に変更しました。

オウムに引き込まれた若者の多くはなんらかの挫折経験があったり、当時の日本社会(バブル絶頂期)になんらかの不満や失望感を抱いていたことが共通していたと言われています。

また非常に優秀な方も多く、もっと世の中をよくしたい。自分の能力を精一杯生かしたいという望みが、麻原彰晃とともにならそれができると思わせてしまい入信を後押ししたと言われています。

1986年、同大学院畜産学研究科獣医学専攻を終え、と同時に獣医師の資格を取得します。修士論文は「各種のアデノウイルスDNAの牛腎臓株の核I因子の結合に関する研究」。京都大学大学院医学研究科博士課程に進学し、当時エイズウイルスが話題になったことから遺伝子工学、ウイルス学を専攻しました。

もともと獣医を目指したきっかけ、専攻を変更したきっかけなどを見た限り、非常に心優しく、なおかつ学問的にも優れた人物だったことがわかります。

ところがこの遺伝子の研究を突き詰めるうち、彼には悩みが生まれていきます。

 

遺伝子という分野を研究するうち、「生命の本質は遺伝子なのか」という疑問が生まれ、魂の存在など精神世界とはなんなのか、という疑問が出てきてしまったのです。

これは一般の人でもよく考えるテーマだと思いますが、研究者としての知識があった彼には余計理解の難しいことだったのかもしれません。

そんな時に出会ったのが、麻原彰晃の著作『超能力秘密の開発法』でした。理系の人間として否定してきた神秘体験を経験したことで確信を持ち、1987年3月、オウムが宗教団体だ、という認識は持たず入信。1988年11月9日、大学院を休学し、家族に手紙を送って、オウム真理教に出家してしまいます。

この手の入信のきっかけは遠藤だけではなく、同じく死刑が確定している元物理学者の広瀬健一も同じようなきっかけでオウムに入信しています。

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麻原は組織を強くするため、化学、物理学、法律、教育などの知識に長けた若者を必要としていました。こうして優秀な、でも社会経験が少なく洗脳されやすい学生が麻原の手にかかり、出家させられ家族と縁を絶たれ、凶悪な犯罪者へと変貌を遂げてしまいました。

 

遠藤誠一の家族

 

兄弟がいたかどうかは不明ですが、父はオウム入信前に他界。お母さんはご存命の可能性もありますがかなりご高齢でしょう。

夫を無くした後教団に息子を奪われ、死刑囚にまでされてしまったお母さんの無念を思うと胸が痛みます。

遠藤自身は結婚していませんが、麻原彰晃の4女に恋心を抱いていたと言われており、許嫁になっていました。最後まで、彼女に対するラブレターを送り続けていたという話もあります。

 

教団内でのポジション

 

遠藤自身が事件の実行犯になったことはなく、教団内で研究施設を与えられ、生物兵器培養、化学兵器製造、違法薬物製造などをしていました。

しかし結果的に遠藤が製作した生物兵器でのテロは一度も成功していないんです。結局土谷正実が開発したサリンの生成を実行し、地下鉄サリン事件で使用されたサリンは遠藤と中川智正によって作られたものでした。

土屋との中は非常に悪く(特に土屋が遠藤を嫌っていた)その原因は、生物テロがうまくいかず、土屋の化学兵器にお株を奪われた形となった遠藤が八つ当たりをしたから、と言われています。

最後は中川土屋両者に罪をなすりつけるような発言も目立ち、全てを受け入れ認めた幹部と比べると見苦しい最後でした。

 

まとめ

 

[オウム]遠藤誠一の家族や実家、両親や生い立ちについてまとめました。結果的に起こしたことは悪魔の所業だったとはいえ、元々はただ社会の役に立ちたかった優秀な青年だった遠藤誠一。

麻原は多くの人の命を奪っただけではなく、日本の研究の最先端を行ったかもしれない優秀な研究者や医師までもを洗脳し、地下鉄サリン事件をはじめとする数々の事件を引き起こし、多くの人、日本社会に被害を与えました。

多くの幹部が麻原の異常性を認め、オウム奪回を表明していく中、彼は最後まで洗脳が解けずに死んで生きました。遠藤の遺体はオウムの後続団体であるアレフに引き取られたということからも、オウムに引き込まれたままだったことがわかります。

麻原さえいなければ、別の道を生きる事ができた人々が大勢いたことを思うとなんともやりきれない気持ちになると同時に、今後2度と同じような悲劇が起きることのないよう事件を風化させないようにすることが大切だと感じます。

私を含む若者がこれからも人生のあちこちの時点に置いて、生きることの意味を考えたり、生き方について迷ったりすることがあるでしょう。そのような時、私たちが頼るべきものがカルトであってはいけない、25年前同じような若者たちに何が起こったのかを、忘れてはいけないと思います。

 

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